熊大附属幼稚園小学校中学校、熊本高校、桐朋学園大学ピアノ専攻卒、声楽研究科2年及び声楽カレッジディプロマ2年在籍。
ピアノを北村陽子、声楽を木村俊光、アンサンブルを江藤俊哉・アンジェラ各氏に師事、在学中特別レッスンにてジュルメーヌ・ムニエ(パリ国立音楽院教授)、ボスクレセンスキー(モスクワ音楽院教授)、エディット・ピヒト=アクセンフェルト(ドイツチェンバリスト)。
コーラス部で小学校時代(県1位)と中学校時代(全国1位、2位)。
ピアノ独奏熊日音楽コンクール1位と県賞、ピティナコンペティション全国大会出場等。
父が京大院からトヨタ本社技術部所属となった関係で、5歳までは豊田市にあるトヨタ本社の真横の社宅で育つ。
以降は熊本でのんびりと育ったため、勉強も音楽も、いわゆる塾とか幼少時からの音楽英才教育とは全く無縁、いつも自分なりの自学法を元に1位の結果を出そうと研究することが好きだった。周囲からの影響もあって、ぼんやりと医者か外交官になろうと思っていたが、音楽好きで私をとても愛してくれた祖母の応援が本格的に始まり、高校2年生の時に進路を桐朋学園大現役合格一本絞りを決意し、実行。ピアノで入学しピアノライフを満喫しつつも古典的で物足りず、元々歌うことが大好きだったこともあり、よき声楽の先生との出会いからピアノ専攻卒業後は声楽専攻の大学院相当に当たる研究科に仲間入り。
桐朋には、親や親族も同じ演奏家(世襲演奏家?)だったり桐朋学園子供のための音楽教室出身も沢山いたりであった。さらには「実家が関東圏じゃないと女の子は芽が出にくいから(音楽で食べていくのは大変だから)さっさと田舎に戻るべき」と公然と迷アドバイスする業界の教授もいらっしゃったりで、大半の学生の意識的にも、必死で就活をするというよりは演奏家としての覚悟を決めた自己研鑽もしくは花嫁修行中、といった2極に住み分けしている感じに思えた。(今はどうかな?)
もれなく田舎からポッと出てきたコネもツテもない身軽な私も、そんなあれやこれやの理不尽に立ち向かい、好きだったから自己研鑽してきた。
しかし、やっとこぎつけたアメリカでの音楽立ち上げの企画もリーマンショックを機に立ち消えとなり、心機一転、一旦熊本へ戻る。
公教育教師やピアノと声楽のレッスン教師、法律業務等を経ながら母方父方に戦前から心理学芸術教育者研究者が多いのもあって、「未来を見据えた教育のあり方」を常に模索し考えていた。
今回のコロナ禍を機に、15年以上前から読み進めていた苫米地英人博士の理論がパズルが埋まるが如くにしっくりとわかってきた。苫米地理論にピッタリと馴染んだと同時に、社会のただならぬ理不尽な危機感に対し、私なりのNOをはっきりと示して生きることを決め、さらにTwitterでもご紹介している『マインドの教科書』との出会いが後押しとなりコーチの道へ。
世界的なコロナや戦争を通してあからさまに見えてきた認知戦(コグニティブ・ワーフェア)があっている中、マインドのカラクリを正確に知り実践を重ねることにより、他人の思惑に惑わされることなく、堂々と皆さんお一人お一人が心から願う人生を思いっきり突き進み、気持ち良く、そして心から湧き出る思いで社会に貢献し合えるはずだ、と確信している。
思いを同じくする方々と繋がり、不毛な差別などない、差別をしようと思いつきすらもせず、ただ互いが互いのために存在し活動し、応援し合う平和な社会の実現のために、私は存在している。